ジムに行けなかった日、なぜか「今日はダメな日」だった気がしてしまう。
運動できなかっただけなのに、自分の価値まで下がったように感じるのはなぜだろう。
「ジムに行けた=良い私」になっていないか?
まず冷静に分解しよう。
自己肯定感が下がる日の多くは、**行動そのものより“意味づけ”**が原因。
- ジムに行けた日 → ちゃんとしている私
- 行けなかった日 → サボった私/ダメな私
この構図、気づかないうちに脳内で完成している人は多い。
でもね、ここには大きな錯覚がある。
ジムに行けた事実と
あなたの価値は
本来、まったく別のもの。
それがいつの間にか、ガッチリ接着されてしまっている。
トレーニングは「自己肯定感の材料」ではなく「生活の一部」
本来、運動ってこういう立ち位置のはず。
- 歯を磨く
- ご飯を食べる
- 身体を動かす
どれも「できたから偉い」「できなかったから価値が下がる」ものではない。
でもジムだけ、特別扱いされやすい。
なぜかというと、
- 努力
- ストイック
- 意識高い
- 自己管理できてる
こういうラベルが付きやすいから。
結果、
ジム=自分を評価する装置
みたいになってしまう。
ここがズレの正体。
行けない日は「評価基準」を切り替える
ジムに行けない日は、同じ物差しで自分を測らない。
これが一番大事。
おすすめは、評価基準を1段階落とすこと。
例:ジムに行けなかった日の合格ライン
- 犬の散歩に行った
- ご飯をちゃんと食べた
- シャワーを浴びた
- 早めに布団に入った
これ、全部「身体と生活を守った行動」。
トレーニングほど派手じゃないけど、
人としてかなりちゃんとしてる。
ジムに行けない日まで、
「トレーニング基準」で自分を裁かない。
その日のコンディションに合った採点表を使おう。
「今日は何もしなかった」を分解してみる
自己肯定感が下がる日は、だいたいこう思っている。
今日、何もしてない…
でも実際に書き出してみると、
- 犬の世話をした
- 家の掃除を少しした
- 食べすぎなかった
- ちゃんと寝た
出てくる、出てくる。
脳はやらなかったことを拡大し、
やったことを無視する癖がある。
だから紙に書く。
頭の中だけで反省しない。
「休む」はサボりじゃなく、戦略
これは運動経験が長い人ほど忘れがち。
身体は、
- 回復する
- 緩む
- 余白ができる
この時間がないと、強くならない。
筋肉も、メンタルも同じ。
ジムに行けない日は、
身体が「今日は回復の日にしよう」と言っている可能性もある。
それを無視して責めるのは、
自分の体の声を無視してるのと同じ。
自己肯定感を下げない人がやっている「1つの習慣」
それは、
「できた日」と「できない日」を比べないこと。
比べるなら、
- 昔の自分
- 完璧主義だった頃の自分
- 無理して壊れていた自分
と、今の自分。
ジムに行けなかった今日のあなたは、
それでも生活を続けている。
それでも誰かを、何かを、守っている。
それだけで十分、価値がある。
それでもモヤモヤするときの処方箋
どうしても気持ちが落ちる日は、
「やる気を出そう」としなくていい。
代わりにこれだけ。
- ストレッチ3分
- 深呼吸5回
- 温かいものを飲む
“整える”に振り切る。
上げなくていい。
下げなければいい。
まとめ:ジムに行けない日も、あなたはあなた
ジムに行けなかった日は、
ダメな日じゃない。
失敗した日でもない。
ただ、別の役割を果たした日。
- 休む役割
- 守る役割
- 立て直す役割
人生には、そういう日もちゃんと必要。
自己肯定感は、
「頑張った日」だけに与えるご褒美じゃない。
存在しているだけで、持っていていいもの。
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