私はブログを書いている。誰かのためじゃなく、私自身が救われるために。

雑記

パソコンを開いて、何も書かれていない画面を前に座るとき。
私はまず、呼吸が少し浅くなっているのに気づく。

肩は無意識に上がっていて、
背中は丸まり、
指先だけが先に動こうとしている。

「何か書かなきゃ」
その言葉が、体の奥から先に浮かぶ。

でもそれは、
誰かの役に立つ文章を書かなきゃ、でも
ちゃんとしたことを書かなきゃ、でもなくて。

ただ、
このまま何も吐き出さずにいたら、
自分の中で何かが詰まってしまいそうだった。

ブログを書き始めた頃、
私は「誰かのために」という言葉を、たぶん信じていた。

誰かの役に立てたらいいな、とか
同じことで悩んでいる人がいたら、とか
そんな、きれいな理由を並べていた気がする。

でも正直に言うと、
書かずにいられなかった、という感覚の方が近い。

体が重い日、
思考だけが空回りする日、
やることは山ほどあるのに、何一つ前に進めない日。

そういう日の終わりに、
私はパソコンを開いて、
何のオチもない文章を書いていた。

書いている間、
呼吸が少しずつ深くなっていくのが分かる。

頭の中に散らばっていた言葉が、
一列に並ばなくてもいいから、
とにかく外に出ていく。

うまく言葉にならない感情も、
論理が破綻している思考も、
そのまま画面に置いていく。

それだけで、
体の内側の圧が少し下がる。

誰かに読まれなくてもいい。
「いいね」がつかなくてもいい。
検索されなくてもいい。

そのとき私は、
自分のためだけに、書いていた。

振り返ると、
私はずっと「ちゃんとしている人」でいようとしていた。

仕事も、体づくりも、
生活も、考え方も。

間違えないように、
弱音を吐かないように、
感情に飲み込まれないように。

でも、
ブログの中だけは、
その仮面を外してもよかった。

強いことを書いているように見えて、
内側では揺れている自分。

前向きな言葉の裏で、
本当は疲れている自分。

それを書いていい場所が、
ここだった。

ブログは、
私を立派に見せるための場所じゃなかった。

むしろ、
崩れている途中の自分を
そのまま置いておくための場所だった。

書くことで、
何かを解決したわけじゃない。

人生が好転した、
悩みが消えた、
そんな劇的な話でもない。

ただ、
「今の私は、こういう状態なんだ」と
自分で自分を確認できた。

それだけで、
次の日、少しだけ普通に息ができた。

最近は、
ブログを書くことを「仕事」にしようとか
「成果」に結びつけようとか
そういう考えも、もちろん頭をよぎる。

でも、
もしそれだけになってしまったら、
私はきっと、ここには書けなくなる。

だから私は、
今もブログを書いている。

誰かを救うためじゃなく、
正しいことを教えるためでもなく。

書かないと、
自分がどこにいるのか分からなくなるから。

書くことで、
やっと自分の輪郭が戻ってくるから。

それはたぶん、
とても不器用な生き方だけど。

私はこの方法で、
今日も自分を保っている。

もし、あなたが
「誰のために書いているのか分からなくなった」
そんな感覚を持っているなら。

無理に役に立たせなくていい。
正解にまとめなくていい。

ただ、
今の体の感覚から書いてみてもいいのかもしれません。

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