音が「大きい」と感じた朝
朝、コーヒーを淹れていた。
お湯が落ちる音が、やけに大きく感じられて、思わず手を止めた。
音そのものが変わったわけではない。
ただ、その瞬間、部屋の中が静かだった。
足元を見ると、犬が寝転んだまま、耳だけをわずかに動かしていた。
目は閉じたまま。
体も動かさない。
それでも、耳だけが、どこか別の場所に向いている。
「あ、聞いてるんだな」と思った。
私が「うるさいな」と感じた音よりも、
もっと遠く、もっと曖昧な何かを。
犬は「音の中」で生きている
私たちは、音を切り分ける。
必要な音と、不要な音。
危険な音と、安全な音。
意味のある音と、ただの生活音。
犬は、そういう分け方をしていないように見える。
音が鳴ったから反応する、というより、
常に音の中に身を置いている感じがする。
だから、何も起きていないのに、急に立ち上がったりする。
だから、雷が鳴る前から、落ち着かなくなったりする。
理由を探そうとしても、言葉にできるものは何も見つからない。
でも、その「理由のなさ」こそが、
犬が聞いている世界の輪郭なんだと思うようになった。
聞こえていないのは、どちらなのか
犬の耳は、人間よりも性能がいい。
そう言われることが多い。
でも、それを「能力の差」として片づけると、
何か大事なものを取りこぼしてしまう気がする。
犬は、私たちより多くの音を聞いている。
同時に、私たちは、聞かないことを覚えてきた。
聞かなくても生きていけるように。
感じなくてもやっていけるように。
街の音。
人の気配。
空気が変わる前の、微かな違和感。
そういうものを、少しずつ、切り捨てながら。
何も起きていない時間の中で
夜、照明を落とした部屋で、
犬が床に横になっている。
特別なことは何もない。
テレビもついていない。
会話もない。
それでも、犬の耳は、ときどき動く。
何かを追いかけるように。
何かを確かめるように。
私は、そのたびに思う。
この子は、今も「世界の中」にいるんだな、と。
私は、頭の中にいることが多い。
明日のこと、やるべきこと、終わらせなければならないこと。
犬は違う。
今ここで起きている、言葉にならないものの中にいる。
無理にわかろうとしなくていい
昔は、理由を知りたかった。
なんで怖がるのか。
なんで落ち着かないのか。
でも今は、
「わからない」という状態のまま、横にいる時間を選んでいる。
理解できなくてもいい。
説明できなくてもいい。
同じ世界を見ていなくても、
同じ空間にいることはできる。
犬は、それで十分だと言っているように見える。
私がしていること
私は、夜に音を流すことがある。
小さく、邪魔にならない程度に。
それは、不安を消すためでも、
何かを治すためでもない。
ただ、犬が聞いている世界と、
今この部屋にある空気のズレが、
少しだけ小さくなればいいと思っている。
それだけ。
正解にする気もないし、
誰かに勧めたいわけでもない。
私が、そうしている、というだけの話。
犬は、ずっと世界を聴いている
犬は、私たちが思うよりずっと多くを聴いている。
でもそれは、優れているとか、すごいという話ではない。
ただ、
私たちが置いてきた場所に、
今も立っているだけ。
そのことに気づいたとき、
犬と過ごす時間の質が、少し変わった。
何もしなくていい時間が、
ちゃんと意味を持ち始めた。
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このブログを書いている人のこと
GIRASOLプロデューサー。
ボディメイクを続けながら、犬と暮らす日常を軸に、
音楽とパラコードをつくっている。
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