予定を減らしたのは、
前向きな決断だったわけじゃない。
正直に言うと、
疲れていただけだった。
やることは山ほどあったし、
やりたいことも、やるべきことも、
ちゃんと頭の中には並んでいた。
でも、身体だけがついてこなかった。
朝起きて、
いつものように犬の世話をして、
コーヒーを入れて、
そのままソファに座った。
次の予定までの時間を確認しようとして、
スマホを手に取ったまま、
ふと、視線が床に落ちた。
犬が寝ていた。
深く、何の警戒もなく、
ただ呼吸だけが静かに続いている寝顔。
その瞬間、
「あ、今日はこれでいいかもしれない」
そんな感覚が、体の奥から浮かんできた。
予定を詰めていた頃は、
この光景を見ていなかったわけじゃない。
ちゃんと、そこにあった。
ただ、
「見る時間」がなかった。
正確に言えば、
見るつもりで見ていなかった。
散歩の時間、仕事の準備、
次にやること、次の締切。
頭は常に先に進んでいて、
目の前の風景は、
通過点みたいな扱いだった。
犬が寝ていることは知っていた。
でも、
「どんな顔で寝ているか」は知らなかった。
予定を一つ、二つ、
キャンセルした日。
空いた時間に、
何か有意義なことをしようとは思わなかった。
ただ、
急がなくなった。
時計を見る回数が減って、
身体の動きが、少し遅くなった。
その結果、
また犬の寝顔が視界に入った。
今度は、
さっきよりも長く。
呼吸のリズム、
耳の先の力の抜け具合、
たまにピクッと動く足。
「この時間、前にもあったはずなのに」
そんな違和感が、じわっと広がった。
予定を減らすと、
時間が増えるわけじゃない。
一日は、相変わらず24時間しかない。
でも、
時間の密度が変わる。
詰め込んでいた頃は、
時間が流れている感覚がなかった。
こなして、進んで、終わらせて、
気づいたら夜。
予定を減らしたら、
時間が「存在」し始めた。
今が今として、
ちゃんと手触りを持ってそこにある感じ。
犬の寝顔は、
その変化をいちばんわかりやすく教えてくれた。
不思議なことに、
予定を減らしたからといって、
生活が崩れたわけじゃない。
やらなきゃいけないことは、
必要な分だけ、ちゃんと残っている。
ただ、
「やらなくてもよかったこと」が
静かに消えただけだった。
その隙間に、
犬の寝顔が戻ってきた。
いや、
戻ってきたというより、
見えるようになっただけかもしれない。
以前の私は、
ちゃんとやっている自分でいたかった。
動いていること、
予定が入っていること、
何かを生み出していること。
それが止まると、
価値が下がる気がしていた。
でも、
犬の寝顔の前では、
その感覚が通用しなかった。
この時間に、
成果も、評価も、前進もない。
それでも、
なぜか呼吸が深くなる。
「何もしない」が、
欠けた状態じゃなく、
満ちた状態に感じられる瞬間。
今は、
意識的に予定を減らしている。
空けるために頑張る、
みたいなことはしていない。
ただ、
入れすぎない。
余白を残す。
その余白に、
犬が勝手に入り込んでくる。
寝顔だったり、
ゆっくりした動きだったり、
何も起きない時間だったり。
それを、
追い払わなくなった。
予定を減らしたら、
犬の寝顔を見る時間が増えた。
それは、
犬のために何かをした話じゃない。
私の視線が、
ようやく今に戻ってきた、
ただそれだけの話。
この続きに、もし興味があれば
静かな時間の中で、
犬と過ごす感覚を残すように、
音や道具を作っている。
▶︎犬のための音:GIRASOL Sounds
▶︎日常で使うドッグギア:GIRASOL
どちらも、
生活の邪魔をしない形で置いている。
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このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。
元フィットネスインストラクター。
人と関わる時間が続く中で、
刺激や情報の多さよりも、
静かで、管理できる距離感の暮らしを求めるようになった。
犬と暮らすようになり、
生活のリズムや優先順位が変わった。
安全であること、安心できること、
毎日繰り返しても負担にならないこと。
GIRASOLは、
そうした基準から自然に生まれている。
派手さより、長く使えること。
説明より、使ったときの違和感のなさ。
その感覚を信頼しながら、
道具や音を、静かに形にしている。


