朝の体は、ちゃんと動いていた
朝はいつも通りだった。 まだ薄暗い時間に起きて、ジムへ向かった。
体を動かして、重さも回数も少しだけ変えた。
食事も、最近見直しているメニューを頭の中でなぞりながら。
終わったあとの体には、ちゃんと使われた感覚があったはずなのに、その日はそこに張りつくような重さが残っていた。
家に帰って、お風呂に入った。
湯気の中で一度力を抜いたら、そのまま床に沈み込みそうになる感覚があった。
朝食を食べて、洗濯機を回して、掃除をして、犬たちの様子を見て。
やることは、全部やっていた。
それでも体の奥のどこかが、もう「次」に進む準備をしていなかった。
動かない時間が増えた朝
ここ数日、同じような朝が続いていた。
ジムから帰ってきて、お風呂と朝食と家のことを一通り終えると、その先が動かない。
今日はブログを書こう。 YouTubeを触ろう。 パラコードを編もう。
頭の中では、ちゃんと予定が並んでいる。 それでも、手が伸びなかった。
一番やりたいのは、GIRASOLのことだ。
それなのに、いちばん手につかない。
焦りというより、空回りに近い感覚だった。 止まっている自分を、少し離れたところから眺めているような感じ。
積み上げることが好きだった
私はこれまで、何をやるにも「今日ここまで」と線を引いて進んできた。
少しずつできることが増えて、積み上がっていく感覚が好きだった。
ブログが増えて、動画が増えて、形になっていくのが楽しかった。
だから、進めない日はわかりやすく不安になる。
今日は何も残せていない。 今日は進んでいない。
そんな言葉が、頭の中に浮かぶ。
でも、体の感覚は少し違っていた。
疲れている、というより、これ以上前に出るのを拒んでいる感じだった。
止まったことで思い出したこと
ふと、今年のはじめに決めたことを思い出した。
無理をしない。 追い込みすぎない。
それは、怠けるという意味ではなかったはずなのに、いつの間にか「止まらないためのルール」みたいにすり替わっていたのかもしれない。
足止めを食らったように感じたこの数日で、ようやく思い出した。
私は、最初から全力で走り続けるつもりはなかった。
進まない日を、そのまま置く
何も進んでいない気がした日。
でも実際には、体はちゃんと反応していて、生活は回っていて、犬たちは変わらずそばにいた。
ただ、その日の私は「進む」より「戻る」を選んでいただけだった。
無理をしないと決めた自分に、戻る。
進まない日があること自体が、失敗ではない。
そう言い切るほど強くはないけれど、少なくともその日は、そう感じていた自分がいた。
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⑤ 記事の余白
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このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。 犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。
元フィットネスインストラクター。 人と関わる仕事を続ける中で、刺激や情報の多さよりも、静かで管理できる距離感の暮らしを求めるようになった。
犬と暮らすようになり、生活のリズムや優先順位が大きく変わった。
安全であること、安心できること、毎日繰り返しても負担にならないこと。
GIRASOLは、そうした生活の中で自然に残った基準から生まれている。
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