足りているはずなのに満たされない理由

雑記

朝の空気は、まだ冷たい。
誰も起きていない時間に、家の中を歩く。

静かで、整っている。
床は散らかっていないし、キッチンも綺麗だ。
冷蔵庫には食べるものがある。
犬たちは生きていて、今日もこちらを見ている。


体は動く。
健康で、痛いところもない。
お金に困っているわけでもない。

それなのに、胸の奥に
うまく言葉にできない「足りなさ」が残っていた。

呼吸は普通にできているのに、
どこかで浅い。

何も起きていない朝なのに、
頭の中だけが忙しい。

不足しているものは、
実際にはほとんどなかった。

住む場所もある。
家族もいる。
犬もいる。
身体も動く。

それでも、満たされているという実感はなかった。


何かが手に入るたびに、
その瞬間は少しだけ嬉しい。

でもすぐに
「次は?」
という声が出てくる。

それは焦りというより
習慣のようなものだった。

体が仕上がったときも、
褒められたときも、
結果が出たときも。

満足したという記憶があまりない。

当たり前だと思っていた。
むしろ、その上を取りにいかなければならない気がしていた。


過去を振り返ると、
手に入らなかったものもあった。

その時の感情は激しかった。

怒り。
空虚。
比較。

誰かの幸せを素直に祝えない自分に、
さらに傷ついていた。

距離ができた友達もいた。
会話が噛み合わなくなった時間もあった。

世界から置いていかれているような感覚の中で、
自分の内側だけが荒れていた。

今は、あの頃ほどの執着はない。

むしろ
自由な時間を楽しめている部分もある。

もし別の人生を歩んでいたらどうだったのか。
考えないわけではない。

でも、今は今で
静かに呼吸ができている。


それでも
不足感が完全に消えたわけではない。

形を変えて、残っている。

体型。
愛情の表現。

満たされているはずなのに
どこかがまだ足りない。

犬と歩いているとき。
ジムで集中しているとき。
制作に没頭しているとき。

不足感は消える。

でも、それは
満たされる感覚とは少し違う。

ただ、静かになる。

もしかすると
人は「満たされる」ために生きているのではなく、

足りない感覚と共に
どう呼吸するかを学んでいるのかもしれない。


今の生活は、まだ仮の形だと思っている。

完成ではない。
途中の時間。

それでも、
以前よりは
世界と戦っていない自分がいる。

足りないものを追いかけ続ける生き方と、
足りないままでも壊れない生き方。

その間で揺れながら、
今日も朝が始まる。


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このブログを書いている人のこと

神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。
元フィットネスインストラクター。

刺激の多い世界から少し距離を置き、
静かに整う暮らしを選ぶようになった。

この文章を書いているときの私は、
満たされているとも、満たされていないとも言い切れない場所にいる。
ただ、その揺れをそのまま残しておきたいと思っている。

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