朝、炊き立てのご飯の湯気を見ていた。
キッチンは静かで、
犬たちもまだゆっくりとした呼吸をしている。
やることは決まっていて、
流れも決まっていて、
身体もその通りに動いている。
特別なことは何もないのに、
なぜか少しだけ、落ち着かない。
整っているはずの空間の中で、
ひとつだけ、浮いているものがあった。
自分の中の、ざわつきだった。
進んでいるはずの感覚
体重は少しずつ落ちてきている。
昨日よりも軽くなって、
見た目も、前よりは締まってきた。
トレーニングも続いている。
食事も崩れていない。
やると決めたことを、
ちゃんとやれている日が増えてきた。
前に進んでいる感覚は、確かにあった。
それでも、
どこかで止まれない感じがしていた。
安心していいはずなのに、
安心することに、少し抵抗がある。
静かな違和感
うまくいっているときほど、
少しだけ、呼吸が浅くなる。
このまま続けられるのか。
どこかで崩れるんじゃないか。
そんな言葉が、
わざわざ浮かんでくる。
考えなくてもいいことなのに、
わざわざ拾いにいっている自分がいた。
未来のことを考えているようで、
その実、どこか別の場所を見ていた。
残っている感覚
やると決めたのに、やらなかった日。
続けると言って、やめたこと。
途中で止まって、
そのまま見ないふりをしたこと。
そういう時間の感触が、
きれいに消えることはなかった。
過去の出来事としては終わっているのに、
身体の奥に、静かに残っている。
何かを始めるたびに、
同じ場所が少しだけ反応する。
「また途中でやめるかもしれない」
その声は、
未来からじゃなくて、
ずっと前から来ていた。
信じきれないままの前進
結果が出れば、
安心できると思っていた。
数字が動けば、
少しは自信が持てると思っていた。
でも、変わらなかった。
できている日ほど、
その状態を失う怖さが強くなる。
続けられていることよりも、
止まったときのことを想像してしまう。
前に進んでいるのに、
どこかで足を止めている感覚があった。
誰に向けた「ちゃんと」
ちゃんとやることが、
いつからか、自分のためじゃなくなっていた。
ちゃんとしている自分でいたい。
崩れていない自分でいたい。
そういう自分でいれば、
大丈夫だと思っていた。
でもその基準は、
いつも外側にあった。
誰かに見られても問題ないか。
ちゃんとやっているように見えるか。
その目線がある限り、
どれだけやっても、足りなくなる。
少しだけ静かになるとき
一日が終わって、
やると決めたことが終わっているとき。
誰かに見せるためじゃなくて、
自分で決めた流れを、そのままなぞれたとき。
その日は、少しだけ静かだった。
何かが満たされたわけでもなくて、
達成感があるわけでもない。
ただ、
余計なことを考えなくて済む。
その感覚が、
ほんの少しだけ残る。
消えないもの
不安は、なくならなかった。
少し形を変えながら、
ずっとどこかにいる。
それでも、前と違うのは、
止まらなくなったことだった。
不安があるから止まるんじゃなくて、
不安があるまま動いている。
その状態に、
少しだけ慣れてきていた。
今日も同じように
朝が来て、
同じようにご飯を作って、
同じように身体を動かす。
犬たちの呼吸を感じながら、
今日やることをひとつずつ進めていく。
それでも、どこかでまた思う。
これでいいのか、って。
たぶん、明日も同じことを思う。
それでもいいと思っている自分が、
少しだけ、そこにいた。
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このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。
元フィットネスインストラクター。
仕事として人と関わる時間が続く一方で、
次第に、刺激や情報の多さよりも、
静かで、管理できる距離感の暮らしを求めるようになった。
犬と暮らすようになり、
生活のリズムや優先順位が大きく変わった。
安全であること。
安心できること。
毎日繰り返しても負担にならないこと。
GIRASOLは、
そうした生活の中で自然に残った基準から生まれている。
派手さより、長く使えること。
説明より、使ったときの違和感のなさ。
その感覚を信頼しながら、
道具や音を、静かに形にしている。


