今日はこれだけできた、で十分

雑記

朝は、わりと調子がいい。
頭が静かで、身体が先に動く。
洗濯を回して、犬の世話をして、朝ごはんを食べて、ジムに行って、仕事の連絡も返して。
午前中の私は、だいたい「ちゃんと回っている人」だ。

予定していたことが、思ったよりもスムーズに片付く日も多い。
気づけばまだ昼前で、「今日はいけるかも」と一瞬だけ思う。

でも、その感覚は長く続かない。

午後になると、空気が変わる。
身体が重いというより、意識が内側に引っ込んでいく感じ。
集中したいのに集中しきれない。
やりたいことはあるのに、なぜか手が伸びない。

洗い終わった洗濯物。
夕飯の下ごしらえ。
床の汚れ。
犬の散歩の時間。

「やらなきゃいけないこと」が、静かに順番待ちをしている。

それを一つずつ片付けていくうちに、夜になる。
気づけば、自分のために使える余白は、きれいに消えている。

ソファに座った瞬間、胸の奥に湧いてくる感覚がある。

今日、何してたんだろう。

午前中は確かに動いていたはずなのに。
身体ははっきり疲れているのに。
成果として“見えるもの”が残っていないと、なぜか一日全部が「何もしなかった日」に書き換えられてしまう。

やりたいことができなかった日。
創作に手をつけられなかった日。
自分の時間をちゃんと取れなかった日。

そういう日は、
「今日はなんもしなかった」
という一文で、簡単に切り捨ててしまう。

でも、それって本当だろうか。

洗濯物は畳まれている。
ご飯はちゃんと作って食べた。
犬は安心した顔で眠っている。
身体は、朝よりも確実にエネルギーを使っている。

それでも頭の中には、
「足りない」
「まだできたはず」
「こんなんじゃダメ」
という声だけが残る。

その声はいつも、
“やりたいことができなかった私”だけを基準にしている。

できたことは見ない。
動いた時間も見ない。
生活を回した事実も、全部なかったことにする。

ただ、理想通りにいかなかった、という一点だけで。

夕方から夜にかけて家のことをしているとき、
私はよく「あとで自分の時間を取ろう」と思っている。

でも実際は、その“あとで”が来ない日も多い。

来なかったからといって、
その一日が無価値だったわけでも、
私が怠けていたわけでもないのに。

それでも罪悪感だけは、きちんと現れる。

今日もできなかった。
今日も進めなかった。
今日も自分のことは後回しだった。

そんなふうに一日を締めくくる癖が、
いつの間にか当たり前になっていた。

でも最近、思う。

午前中に動けたこと。
生活を滞らせなかったこと。
誰かや何かを守るために時間を使ったこと。

それだけで、
その日のエネルギーは、もう使い切っている日もある。

夜に余白が残らない日があってもいい。
やりたいことに辿り着けない日があってもいい。

今日はこれだけできた。

その言葉で、
一日を終えてもいいんじゃないかと思うようになった。

全部できなくてもいい。
理想に届かなくてもいい。
“進んだ感じ”がなくてもいい。

今日の自分が使った力の分だけ、
ちゃんと今日を生きていた。

それを、
わざわざ否定しなくてもいい。

夜、布団に入る前に、
できなかったことを並べる代わりに、
ただ一行だけ心の中で言ってみる。

今日はこれだけできた。
それで十分。

そう言える日が増えていったら、
きっと明日の朝の身体は、
もう少し静かに、軽く動き出す。


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このブログを書いている人のこと

犬と暮らしながら、身体と生活のリズムを整える日々を送っています。
早朝に起きてトレーニングをし、家を整え、犬たちと静かな時間を過ごすのが好き。
以前は「ちゃんとしなきゃ」「もっとできるはず」に追われていました。
今は、できたことを正しく数える練習中です。
GIRASOLでは、犬と人の安心をテーマに、音・ことば・道具をつくっています。

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