フィットネスインストラクターをしていた。
人前に立つ仕事なのに、いわゆる“コミュ障”だと思っている。
声を張るのは仕事だからできる。
笑顔も作れる。
相手に合わせて、当たり障りのない言葉を選ぶのも慣れている。
でもそれは、自然に出てくるものじゃなかった。
私は強面だ。
自覚している。
だからこそ、怖がられないように、人当たりの良さを「外側」に貼り付けて生きてきた。
感じのいい人。
話しやすい人。
明るくて元気なインストラクター。
そう見られるように、ずっと調整していた。
ヤックルがてんかんを発症した。
突然だった。
それまでの日常が、音を立てずに崩れていく感じがあった。
発作のタイミングは読めない。
留守番が不安で、長時間家を空けられない。
「何かあったらどうしよう」が、常に頭の片隅に居座る。
仕事を辞めた。
選択というより、そうせざるを得なかった。
気づいたら、家からあまり出なくなっていた。
外に出なくなると、人との接点が一気に減る。
連絡を取らなくなる人。
自然と途切れる関係。
会わなくなると、話題もなくなる。
インスタも、あまり見なくなった。
元同業者たちの投稿。
相変わらずキラキラしていて、
うまく言えないけど、胸の奥がザワつく。
羨ましいとか、妬ましいとか、
そういう言葉にする前の、もっと手前の違和感。
見るのをやめた。
不思議なことが起きた。
何かを「やめた」という感覚より、
頭の中が静かになった感覚のほうが強かった。
常に誰かを意識していた場所が、ぽっかり空いた。
比べなくていい。
気を遣わなくていい。
言葉を選ばなくていい。
脳のリソースが、ごっそり空いた。
そしてそれが、想像以上に心地よかった。
人間関係が楽になった、というより、
人間関係に使っていたエネルギーを、使わなくなった。
それまで、かなり疲れていたんだと思う。
人だけじゃない。
情報も、予定も、期待も。
全部が少しずつ、重なっていた。
その結果、
「何が楽しいのか」
「何がやりたいのか」
「何が食べたいのか」
わからなくなっていた。
自分の感覚が、鈍っていた。
犬中心の生活になると、優先順位が極端にシンプルになる。
今日は発作がなかったか。
ごはんはちゃんと食べたか。
眠れているか。
散歩の空気は冷たすぎないか。
考えることは多い。
正直、大変だ。
てんかんと付き合うのは、きれいごとじゃ済まない。
不安もあるし、気力を削られる日もある。
でも、目の前の“生き物”に集中していると、
余計なノイズが入り込む余地がない。
「どう見られているか」より、
「今どうか」。
この感覚が、少しずつ戻ってきた。
しばらくして、変化に気づいた。
やりたいことが、浮かぶ。
アイデアが出てくる。
あれもこれも、やってみたいと思える。
前は、そんな余白はなかった。
常に何かに追われて、
何かに合わせて、
何かを演じていた。
犬中心の生活は、
社会的には「狭く」なったかもしれない。
でも、内側は明らかに広くなった。
ヤックルの病気は、厄介だ。
これからも、ずっと付き合っていく。
楽なことばかりじゃない。
むしろ、面倒なことのほうが多い。
それでも、
この生活がなかったら、
私はたぶん、まだ自分の感覚を見失ったままだった。
人間関係が楽になったのは、
人を減らしたからじゃない。
自分を削ってまで関わる場所から、
静かに降りただけだった。
犬中心の生活は、
私を社会から切り離したんじゃなくて、
自分に戻してくれた。
そんな気がしている。
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どれも、外側を減らしたあとに残った感覚の話。
このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。
元フィットネスインストラクター。
現在は、アイリッシュセッターのヤックルと
イングリッシュコッカースパニエルのジーナと暮らしている。
犬との生活をきっかけに、
「頑張る」「広げる」よりも
「静かに整える」方向へ舵を切った。
このブログでは、
正解やノウハウではなく、
体に残った感覚や、言葉になる前の思考を書いている。
音の活動として GIRASOL Sounds も運営中。
犬と人が、少し安心できる時間のための静かなBGMを作っている。
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