“価値がない”と思っていた時間が、いちばん満ちていた話

ライフスタイル

朝の空気が、まだ少し冷たかった。

部屋の中は静かで、音がないわけじゃないのに、
すべてが遠くにあるみたいだった。

ヤックルが伸びをして、
ジーナが丸くなったまま、ゆっくり呼吸している。


私は何もしていなかった。

スマホも見ていない。
作業もしていない。
何かを生み出そうともしていない。

ただ、そこに座っていた。

床に触れている足の裏が、少しひんやりしていて、
背中に当たる空気が、じんわりと温かくなっていく。

それだけだった。

それなのに、
なぜか、満ちていた。


何もしていない時間が、ずっと怖かった。

動いていないと、価値がないと思っていた。
何かを生み出していないと、意味がないと思っていた。

仕事をしていない今の自分は、
この家の中で、お金を生んでいない存在で、
どこか「ただいるだけ」の人間みたいに感じることがある。


ヤックルとジーナには必要とされている。

でも、それは「価値がある」とは違う気がしていた。

誰かの役に立つこと。
何かを作ること。
数字として結果が出ること。

そういうものだけが、価値だと思っていた。


でも、その朝は、少し違った。

ヤックルが近くに来て、
私の腕に顔を乗せた。

ジーナはそのまま眠っていて、
時々、小さく足が動く。

その音も、呼吸も、全部がゆっくりで、
時間の流れが、少しだけ遅くなった気がした。


私は、何もしていない。

ただ、そこにいるだけだった。

それなのに、
「足りない」と思う感覚が、なかった。

満ちている、というより、
「削られていない」感じに近かった。


いつもは、どこかで削れている。

やらなきゃいけないこと。
終わっていないこと。
ちゃんとできていないこと。

そういうものが、頭の中にあって、
気づかないうちに、少しずつ減っていく。

でも、そのときは、
何も削られていなかった。

だから、満ちているように感じた。


思い返すと、
私はずっと「価値を作る」ことばかり考えていた。

誰かにとって意味があるか。
お金になるか。
ちゃんとしたものか。

その基準でしか、自分を見ていなかった。


だから、
何もしていない時間は、全部「無価値」だった。

空白。
無駄。
サボり。

そうやって切り捨てていた。

でも、本当にそうだったのかは、
正直わからない。


あの朝の時間は、
何も生み出していない。

誰の役にも立っていない。
お金にもなっていない。

それでも、確かに「何か」はあった。

静けさとか、
安心とか、
言葉にならない、柔らかい感覚。


それは、作ろうとして作れるものじゃなかった。

私は今でも、
「何もしていない自分」に焦ることがある。

このままでいいのか、とか。
もっとやれるんじゃないか、とか。

そういう声は、消えない。

たぶん、これからも消えない。


でも、少なくとも一つだけ、
前と違うことがある。

あの時間を、
「なかったこと」にしなくなった。

意味がない、と切り捨てることを、やめた。

何も生み出していない時間にも、
触れていた感覚があったことを、
なかったことにしない。


何かを作る時間も、必要で、
前に進むためには大事だと思っている。

でも、それとは別に、
ただ、削られていない時間がある。

それを「価値がない」と決めてしまうのは、
少し乱暴だったかもしれない。

そう思うようになった。


私は今、
その時間を増やそうとしているわけではない。

意識的に作ると、
少し違うものになる気がするから。

ただ、たまに訪れるその時間を、
追い出さないようにしている。


スマホを手に取らずに、
そのまま座っている。

ヤックルの体温を感じながら、
ジーナの寝息を聞きながら、
少しだけ、何も足さない。

それが、何になるのかは、まだわからない。

もしかしたら、
本当に何にもならないのかもしれない。

でも、それでもいいと思える瞬間が、
前より増えた気がする。


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このブログを書いている人のこと

神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。

元フィットネスインストラクター

仕事として人と関わる時間が続く一方で、
次第に、刺激や情報の多さよりも、
静かで、管理できる距離感の暮らしを求めるようになった。

犬と暮らすようになり、
生活のリズムや優先順位が大きく変わった。
安全であること、安心できること、
毎日繰り返しても負担にならないこと。

GIRASOLは、
そうした生活の中で自然に残った基準から生まれている。

派手さより、長く使えること。
説明より、使ったときの違和感のなさ。
その感覚を信頼しながら、
道具や音を、静かに形にしている。

この文章を書いているときの、私。
朝の静かな時間。
コーヒーは飲まずに、白湯を少しだけ。
ヤックルは足元で伸びていて、ジーナはまだ眠っている。
何かを生み出そうとして書いているのに、
途中で、手が止まる。
言葉にしなくてもいい気がして、
少しだけ、空白を残したくなる。

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