夜は、ほんの少しだけ予定から外れていた。
それだけだったはずなのに、身体はすぐにそれを察知する。
決めていた食事の時間がずれた。
飲まないつもりだった酒を飲んだ。
帰る頃には、もう頭のどこかで「今日はもう整わない」と理解していた。
止まらない感じがあった。
誰かに強制されているわけではないのに、
自分で自分を止められない。
減量中の身体は、とても正直だ。
空腹も、疲労も、眠気も、
すべてが少しだけ誇張されて現れる。
朝、目が覚めると、むくみを感じた。
身体が重い。
眠い。
それなのに異常にお腹が空いている。
理屈では説明できる。
アルコールや睡眠の質、ストレスホルモンのこと。
だけど、実際に感じているのはもっと単純な感覚だった。
「崩れた」という事実。
整えていたはずなのに。
積み重ねてきたはずなのに。
それが一瞬で消えてしまったような気がした。
怖かったのは体重ではなかった。
怖かったのは、
努力が無意味だったのではないかという感覚だった。
孤独な夜だったと思う。
誰も責めていないのに、
自分だけが自分を責めていた。
整っている日の朝は違う。
静かで、空気が澄んでいる。
呼吸が深く、エネルギーが満ちている。
身体のどこか一部が軽いのではなく、
すべてが軽い。
時間が流れている感覚がある。
生活の輪郭がはっきりしている。
その感覚を守りたくて、
私は食生活や自制に執着しているのかもしれない。
整うというのは、
未来をコントロールできている感覚だった。
崩れるというのは、
その感覚が一瞬で消えてしまうことだった。
でも、昨日の時間が完全に悪だったとは思えなかった。
楽しい時間もあった。
息を抜けた瞬間もあった。
それは、身体が「少し休め」と教えてくれていたのかもしれない。
整え続けることは強さだけれど、
崩れることもまた、生きている証拠だった。
生活は実験のようなものだと思う。
完璧な条件を揃え続けることはできない。
変数は常に増え続ける。
だから私は、崩れた日の次の日、
特別なことはしない。
水を飲む。
静かに散歩をする。
決めた量を食べる。
眠くなったら横になる。
それだけを繰り返している。
整えるというのは、
劇的な変化ではなく、
戻ってくる力のことだったのだと思う。
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このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。
元フィットネスインストラクター。
人と関わる時間の中で、
次第に、静かで管理できる距離の暮らしを求めるようになった。
犬と暮らし始めてから、
生活の優先順位は変わった。
安全であること。安心できること。
繰り返しても疲れないこと。
この文章を書いている今、
身体はまだ少し重い。
でも呼吸は落ち着いている。


