目が覚めたのは、夜の途中だった。
時間の感覚が少しずれていて、
今が何時なのか、すぐにはわからなかった。
隣で寝ていたヤックルの様子がおかしい。
呼吸が速くて、身体が強張っている。
名前を呼んでも反応がない。
目は開いているのに、どこも見ていないような目をしていた。
発作だった。
しばらくして落ち着いても、
今度はずっと歩き回る。
部屋の中を行ったり来たりして、
何かを探しているみたいに落ち着かない。
時計を見るたびに、少しずつ時間が進んでいるのに、
体感はほとんど動いていなかった。
やっと横になったと思った頃には、
もう一度眠るには短すぎる時間しか残っていなかった。
朝のアラームが鳴る前に、また起きた。
今度は外に行きたがって、
扉の前でじっとこちらを見ている。
外はまだ暗くて、
空気は冷たくて、
自分の身体も、まだ夜のままだった。
リードをつけて、外に出る。
静かな道を、ゆっくり歩く。
足音と呼吸だけが、やけに大きく感じる。
帰ってきた頃には、もうジムに行く時間はなかった。
行けない、というより、
間に合わない、が正しい。
旦那が仕事に行くまでに戻れない。
予定が、そこで終わった。
頭の中では、すぐに計算が始まる。
今日はトレーニングできない。
消費カロリーが減る。
この一日で崩れるんじゃないか。
やらなかった分を、どこで取り返すか。
そんなことばかりが浮かんでくる。
でも、身体はもう知っていた。
今日は違う日だと。
いつもみたいに「やる日」じゃない。
押し込んで、追い込んで、
結果を取りに行く日じゃない。
今日は、ただ保つだけの日だった。
守るしかない日がある。
やることを増やすより、
減らさないことの方が大事な日。
前に進むより、
崩れないことの方が大事な日。
何かを足すより、
失わないことに集中する日。
そういう日は、たしかにある。
でも、ずっと前の私は、
それを認められなかった。
何かをしていないと、
価値がない気がしていた。
止まることは、
後退だと思っていた。
一日でも気を抜いたら、
全部崩れる気がしていた。
だから、無理にでも動こうとしていた。
眠れていなくても、
身体が重くても、
気持ちがついてこなくても。
それでも「やること」を優先していた。
でも、そういう日に限って、
うまくいかなかった。
力が入らなくて、
集中もできなくて、
終わったあとに残るのは、
疲労と、微妙な後悔だけだった。
あれは、攻める日じゃなかった。
ただ、それだけのことだった。
今日は、やらなかった。
ジムには行かなかったし、
トレーニングもしていない。
予定は崩れたまま、
そのままにしている。
その代わり、
朝ごはんはちゃんと食べた。
味噌汁の湯気を見ながら、
ゆっくり噛んだ。
少しだけ外を歩いて、
光を浴びた。
昼は横になって、
短く眠った。
やったことは、
それくらいだった。
でも、身体は少しずつ戻ってきた。
呼吸が深くなって、
思考のノイズが減って、
いつもの感覚に近づいていく。
前に進んでいないようで、
ちゃんと戻っている感じがあった。
守る日って、
何もしていないように見える。
結果も出ないし、
目に見える変化もない。
でも、たぶん、
こういう日があるから、
崩れずに続いていく。
攻める日だけで、
続くものは少ない。
どこかで必ず、
バランスを崩す。
だから、
今日は守る日だった。
それだけで、いいと思えた。
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このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。
元フィットネスインストラクター
仕事として人と関わる時間が続く一方で、
次第に、刺激や情報の多さよりも、
静かで、管理できる距離感の暮らしを求めるようになった。
犬と暮らすようになり、
生活のリズムや優先順位が大きく変わった。
安全であること、安心できること、
毎日繰り返しても負担にならないこと。
GIRASOLは、
そうした生活の中で自然に残った基準から生まれている。
派手さより、長く使えること。
説明より、使ったときの違和感のなさ。
その感覚を信頼しながら、
道具や音を、静かに形にしている。


