静かな一日が好きになった理由

雑記

昔の私は、わりと典型的なアウトドア派だったと思う。
スノボー、サーフィン、バイク、ダンス、キャンプ。
どれもプロじゃないけど、浅く広く、身体を動かすことなら一通りかじってきた。

映画を観る習慣もなければ、読書に没頭することもない。
ゲームもしないし、料理が趣味だったことも一度もない。
家の中でじっと過ごす時間は、正直どこか「もったいない」と感じていた。

だから週末は、ほぼ例外なく外に出ていた。
毎週どこかに行って、誰かと会って、飲みに行って、
「今日は何して過ごした?」と聞かれたときに、
少し派手な答えを用意できる日々を好んでいた。

ちなみに夫は真逆で、完全なインドア派。
家で過ごすことに何の抵抗もない人で、
当時は「よくそんなにじっとしていられるな」と思っていた。


変わったきっかけは、はっきりしている。
ヤックルのてんかんだった。

突然、これまで当たり前だった「気軽に出かける」が難しくなった。
長時間家を空けることに不安がつきまとうようになって、
外出先でも、頭のどこかが常に家の中を向いていた。

その頃ちょうど、仕事もしていなかった。
時間はあるけれど、自由に使えるお金は限られていて、
「遊びに行く」という選択肢が、現実的に減っていった。

最初は、正直つらかった。
置いていかれた感じもあったし、
インスタを開けば、相変わらず楽しそうな人たちが流れてきて、
自分だけが急に立ち止まってしまったような感覚があった。


でも、ある時ふと気づいた。

一日、誰とも喋らずに、
犬たちと静かに過ごした日の夜、
心が驚くほど穏やかだった。

予定に追われることもなく、
「次はどこ行く?」と考え続ける必要もなく、
ただ朝が来て、犬の世話をして、
静かに時間が流れていく。

最初は退屈になると思っていたその時間が、
なぜか苦しくなかった。

むしろ、頭の中が静かだった。


その頃から、パラコードを編む時間が増えた。
YouTube用の音を作ったり、動画を整えたり、
黙々と手を動かす作業が、いつの間にか日常になっていた。

誰かに見せるためじゃなく、
評価されるためでもなく、
ただ「今これをやっていたい」からやる。

不思議なことに、
静かに集中していると、アイデアが勝手に浮かんでくる。

次はこんな色にしようとか、
こういう見せ方もいいかもしれないとか、
頭をひねらなくても、自然に形になっていく。

外に出て刺激を受けなくても、
内側からちゃんと何かが湧いてくることを、
この頃初めて知った気がする。


昔は、「何もしない一日」が少し怖かった。
動いていない自分は価値がない気がして、
楽しそうじゃない自分を、どこかで否定していた。

でも今は違う。

人と話さなくても、
派手な予定がなくても、
静かな一日には、ちゃんと満足感がある。

むしろ、音が少ないからこそ、
自分の感覚がよくわかる。

今日は集中できる日なのか、
少し疲れているのか、
何に惹かれているのか。

静かな時間は、そういう小さな変化を
見逃さずにいさせてくれる。


気づけば、
これまで一切やってこなかったインドアの世界にも、
少し興味が出てきた。

読書かもしれないし、
音楽かもしれないし、
まだ名前のつかない何かかもしれない。

「外に出なきゃ楽しくない」という思い込みが外れた今、
選択肢はむしろ増えたような気がしている。

静かな一日は、
妥協でも、諦めでもなく、
今の私にちょうどいい速度だった。


昔の自分が読んだら、
きっと少し退屈そうな暮らしに見えると思う。

でも、今の私は知っている。

静かな一日は、
思っている以上に、豊かだということを。

音が少ない分、
ちゃんと、自分の中の声が聞こえる。

それだけで、
この暮らしを選んだ理由としては、十分だった。

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このブログを書いている人のこと

GIRASOL(ヒラソル)という名前で、
愛犬と飼い主の「ちょうどいい距離感」や、
静かな時間の豊かさをテーマに、
文章・音・手仕事を通して発信しています。

アイリッシュセッターのヤックルと、
イングリッシュコッカースパニエルのジーナと暮らしながら、
慌ただしさから少し離れた日常を記録中。

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