朝から、もう少しだけ力が入っていた
「ちゃんとしなきゃ」と思っていた頃、
私はいつも、少しだけ息を止めて生きていた。
起きる時間。
食べる内容。
運動の強度。
人への返事の仕方。
全部が「正解」に向かっていて、
どこにも“そのまま”の余白がなかった。
朝、目を開けた瞬間から
背中の奥が薄く張っている。
肩が少し上がっている。
でもそれが普通すぎて、違和感として認識していなかった。
疲れていないはずなのに、重かった理由
疲れてる?と聞かれたら、
「別に」「大丈夫」と答えていた。
でも夜になると、
身体の芯だけが残るような重さが出てくる。
何かをやり残した感じ。
うまくやれなかった感じ。
振り返ると、
疲れていたのは身体じゃなくて、
ずっと“自分を監視している状態”だった。
ちゃんとできてるか。
ズレていないか。
人からどう見えるか。
そのチェックが、
一日中、止まらなかった。
予定が崩れた朝に、起きたこと
ある日、
朝のルーティンが崩れた。
起きる時間がズレた。
流れが狂った。
頭の中に、
いつもの声が出てきた。
「ちゃんとしなきゃ」
「このままじゃダメ」
でもその日は、
その声に従わなかった。
代わりに、
身体の感覚をそのまま見た。
胸が詰まる。
胃が重い。
呼吸が浅い。
「ちゃんとしよう」とするたび、
この感覚が強くなることだけは、
もう何度も体験していた。
何もしなかった日の、夕方の軽さ
その日は、
立て直そうとしなかった。
頑張り直さなかった。
正そうとしなかった。
ただ、そのまま過ごした。
夕方、
いつもなら一番重くなる時間帯。
でもその日は、
足の裏が地面についている感じがあった。
呼吸が勝手に深くなっていた。
何かを達成したわけじゃない。
サボったわけでもない。
「ちゃんとしなきゃ」を使わなかっただけ。
それだけで、
一日の消耗がまるで違った。
「ちゃんとしなきゃ」が身体にしていたこと
今ならわかる。
「ちゃんとしなきゃ」は
行動を整える言葉じゃなかった。
身体を常に
緊張状態に固定するスイッチだった。
姿勢をチェックする。
結果をチェックする。
評価をチェックする。
気づかないうちに、
自分の身体を信頼する感覚が消えていた。
眠くても進む。
空腹でも我慢する。
疲れていても「このくらい普通」。
全部、ちゃんとしているつもりで、
全部、身体の声を置き去りにしていた。
疲れ方が変わった、ただそれだけ
「ちゃんとしなきゃ」をやめてから、
生活が激変したわけじゃない。
やることは同じ。
運動もするし、仕事もする。
でも、
疲れ方だけが変わった。
前は、
何もしていなくても疲れていた。
今は、
動いた分だけ疲れる。
それが、とても自然に感じる。
また出てきたら、ただ気づくだけ
今でも、
「ちゃんとしなきゃ」が顔を出すことはある。
でもそのたびに、
身体のどこが固くなったかを見る。
肩か。
顎か。
腹か。
「あ、今やってるな」
それだけでいい。
直さなくていい。
反省しなくていい。
気づいた瞬間、
もう一段、力は抜けている。
ちゃんとしていなくても、生きていけた
疲れなくなったのは、
頑張らなくなったからじゃない。
「ちゃんとしなきゃ」という
余計な重りを、
一つずつ外していっただけ。
身体は、
最初から知っていた。
ちゃんとしていなくても、
ちゃんと生きられることを。
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このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。
犬2匹と暮らしながら、
身体・暮らし・思考を「整えすぎない」実験を続けています。
フィットネスインストラクターとして15年活動する中で、
「正しくやる」「ちゃんとやる」ことに
無意識に縛られていた感覚に気づきました。
今は、
身体の感覚を最優先にした暮らしと、
犬との静かな時間、
音・形・言葉を通じた表現を大切にしています。
このブログは、
誰かを正すためではなく、
読んだ人が自分の身体を思い出すための場所です。
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