整えるとか、緩めるとか、正直よくわからなかった

雑記

朝、お風呂から出たあと、
少しだけ身体が軽かった。

いつもと同じ朝なのに、
どこか、静かだった。

無理に動こうとしていない感じ。

呼吸が、少しだけ深い。

それだけの違いなのに、
身体の中の“詰まり”みたいなものが、
少しほどけている気がした。


整えるとか、緩めるとか。

正直、ずっとよくわからなかった。

言葉としては知っている。

でも、感覚がない。

「リラックスしましょう」とか
「力を抜きましょう」とか言われても、

どこをどうすればいいのか、
まったくピンと来なかった。


むしろ、ずっとこう思っていた。

気合いでなんとかなるでしょ、って。

体調が悪くても、
だるくても、
気持ちが乗らなくても、

やればできる。

実際、できてしまう。

だから、気づかなかった。

無理が効いていることに。


ある日、ふと止まる。

動けない。

やる気が出ない。

身体が重い。

そういう日が来る。

それまでは、

「今日はダメな日」

くらいにしか思っていなかった。

でも、違った。

それは、止められていた。

これ以上いくと、
壊れるから。

身体の方が、先に判断していた。


整えるとか、緩めるとか。

それは「頑張ること」じゃなかった。

むしろ、逆だった。

頑張るのを、やめること。


例えば、呼吸。

いつもは気づかないくらい浅くて、
止まっているような呼吸をしていた。

少しだけ、吐く時間を長くする。

それだけで、

身体の中のスイッチが変わる。

別に気持ちが変わるわけじゃない。

でも、身体が変わる。

肩の力を抜く。

と言われても、よくわからなかった。

でも、奥歯に力が入っていることに気づいた。

噛み締めている。

それを、そっと離す。

それだけで、少しだけ身体が落ちる。


整える、というのは

何かを足すことじゃなかった。

むしろ、

持ちすぎているものを手放すことに近かった。

朝ごはんを食べて、
少ししてからお風呂に入る。

前は「消化に悪いかも」とか、
いろいろ考えていた。

でも今日は、
ぴったり10分で出た。

熱くもない、ぬるいお湯。

ぼーっとしていたわけじゃない。

ただ、何も足さない時間。

お風呂から出て、
水を飲んで、
少しだけ座る。

それだけで、

身体の中が動いている感じがした。


朝の排泄がある。

それだけのことなのに、

「あ、流れてる」

と思った。

今まで、
削ることばかり考えていた。

食事を減らす。
運動を増やす。
もっと頑張る。

でも、違った。

詰まっているときに削ると、
さらに止まる。

流れているときは、
勝手に落ちる。


整える、というのは

正解に近づくことじゃなかった。

ちゃんと戻ることだった。

どこかに行こうとしていたのを、
いったん、元の位置に戻す。

緩める、というのも

怠けることじゃなかった。

むしろ、

ずっと入っていた力に気づいて、

それを外すことだった。


今の私は、

まだその感覚がはっきりわかっているわけじゃない。

でも、

わからなかったものに、
少しだけ触れた感じがする。

たぶん、これは

一気に理解するものじゃない。

何度も戻って、

何度も忘れて、

そのたびに、また気づく。

そんな種類のものなんだと思う。

今日は、たまたま

少しだけ流れている日だった。

それだけで、

十分だった。


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このブログを書いている人のこと

神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。

元フィットネスインストラクター

仕事として人と関わる時間が続く一方で、
次第に、刺激や情報の多さよりも、
静かで、管理できる距離感の暮らしを求めるようになった。

犬と暮らすようになり、
生活のリズムや優先順位が大きく変わった。
安全であること、安心できること、
毎日繰り返しても負担にならないこと。

GIRASOLは、
そうした生活の中で自然に残った基準から生まれている。

派手さより、長く使えること。
説明より、使ったときの違和感のなさ。
その感覚を信頼しながら、
道具や音を、静かに形にしている。

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