子どもの頃、
この世界は、自分のためにあると思っていた。
家族も、友達も、先生も、
みんな、それぞれの人生を生きている存在じゃなかった。
私の周りに配置された人たち、みたいな感覚だった。
主役は、私。
家族や友達は、準主役。
その他の人は、背景にいる人。
そんなふうに、自然に思っていた。
例えば、学校の帰り道。
知らない人とすれ違っても、
その人がどこへ向かっていて、どんなことを考えているのか、
想像したことがなかった。
その人は、ただそこにいる人だった。
私の世界に、一瞬だけ登場する人。
そのあと、どこかで待機しているんだと思っていた。
見えないところでは、
何もしていない気がしていた。
今思うと、かなり不思議な感覚だけど、
そのときの自分にとっては、それが普通だった。
違和感もなかった。
だって、見えている世界は、全部自分中心だったから。
たぶん、人はみんな、
ある程度そういう感覚を持って生まれてくる。
自分の視点からしか、世界を見られない。
目の前にあるもの、聞こえる音、感じること。
すべてが、自分の内側で起きている。
だから、世界の中心が自分になるのは、
自然なことだったのかもしれない。
でも、あるとき気づく。
他の人にも、それぞれの人生があること。
自分がいない場所でも、
世界は普通に続いていること。
自分が見ていないところで、
人は動いていて、笑っていて、悩んでいること。
当たり前のことなのに、
初めてそれに触れたとき、少しだけ衝撃だった。
自分が主役じゃない世界がある。
自分が関わっていない時間がある。
それを想像すると、
少しだけ、足元が揺れる感じがした。
それでも、完全には消えなかった。
「自分中心の感覚」は、形を変えて残った。
今でも、
誰かの言葉を、自分に向けられたものとして受け取ってしまうことがある。
誰かの行動に、意味を見つけてしまうことがある。
自分に関係ないはずのことまで、
どこかで「自分ごと」にしてしまう。
世界は、思っている以上に、
自分のフィルターを通して見えている。
そしてもう一つ、不思議なことがある。
人はみんな、それぞれの人生を生きていると理解しているのに、
同時に、自分の人生の中では、自分が主役であることも、変わらない。
この二つは、矛盾しているようで、
どちらも本当だった。
誰かにとっての主役は、その人で、
私にとっての主役は、私。
それぞれの世界が、重なりながら存在している。
完全には交わらないまま、
でも、影響し合いながら続いている。
そう考えると、少しだけ面白くなる。
目の前にいる人も、
見えないところで、自分の物語を進めている。
私が知らない場面で、
誰かと話して、笑って、泣いて、選択をしている。
私が登場しないシーンが、
無数にある。
その中で、たまたま、同じ時間を共有している。
同じ空間にいる。
それだけのことなのかもしれない。
昔は、それを考えると、
少し寂しい感じがした。
自分が中心じゃない世界があること。
自分がいなくても、
物語は進んでいくこと。
それが、どこか怖かった。
でも、今は、少し違う。
自分がすべてを背負わなくていい、という感覚にも近い。
世界は、私がいなくても回る。
だからこそ、
全部をコントロールしようとしなくてもいい。
自分の役割は、自分の物語の中にある。
私は、私の視点でしか生きられない。
それは、変えられない。
でも、その外側に、無数の物語があることを知っている。
それだけで、
世界の見え方は、少し変わる。
子どもの頃に思っていた世界は、
完全な間違いだったわけじゃない。
ただ、少し狭かっただけかもしれない。
今も、自分を中心に世界を見ている。
でも、その外側にあるものを、
想像できるようになった。
それだけで、
同じ景色でも、少し違って見える。
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このブログを書いている人のこと
神奈川県在住。
犬と暮らしながら、GIRASOLという名前で、
パラコードのドッグギアと、犬のための音を作っている。
元フィットネスインストラクター
仕事として人と関わる時間が続く一方で、
次第に、刺激や情報の多さよりも、
静かで、管理できる距離感の暮らしを求めるようになった。
犬と暮らすようになり、
生活のリズムや優先順位が大きく変わった。
安全であること、安心できること、
毎日繰り返しても負担にならないこと。
GIRASOLは、
そうした生活の中で自然に残った基準から生まれている。
派手さより、長く使えること。
説明より、使ったときの違和感のなさ。
その感覚を信頼しながら、
道具や音を、静かに形にしている。
朝の光が少し強くなってきて、
部屋の温度も上がってきた。
ヤックルは外を見ていて、ジーナはまだ眠っている。
同じ空間にいるのに、
それぞれ違う時間を生きている感じがする。
それを見ていると、
「同じ世界にいる」ということが、少し不思議に思える。
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